応募者のためのナルティスツアー2022 vol.9
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こんにちは! ライターの宮本です。
ナルティスのbossこと新上ヒロシさんに迫る単独インタビューの中編。
vol.9となる今回はなぜナルティスは漫画のお仕事をするようになったのか?など新上さんが過去切り開いてきた道に迫っていきます。
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現在ナルティスではデザイナー募集中です。>>>募集要項はコチラ>>>
新上ヒロシ◎1968年横須賀市生まれ。
桑沢デザイン研究所在籍後、数年間デザイン事務所に勤務ののち、1997年ナルティスを設立。
代表作は『聖☆おにいさん』(中村 光/講談社)、『ランド』(山下和美/講談社)』、
『ツイステッド・シスターズ』(山下和美/講談社)、『山と食欲と私』(信濃川日出雄/新潮社)、
『サ道―マンガで読むサウナ道―』(タナカカツキ/講談社)、『涙雨とセレナーデ』(河内遙/講談社)など。
Interview
「これも新上さんなんですね!」が最高の褒め言葉
――新上さんが最近手がけられた作品を今日は持ってきていただきました。
まるで全部違う人が作ったかのようですね!
別人みたいでしょ?毎回人格が変わってる感じです。
変わろうと思って変えているわけじゃなくて変わっちゃうっていう感覚のほうが強いのですが…。
最近のお仕事は単行本メインですが、舞台の宣伝美術などもやらせていただいています。
撮影ディレクションからポスター、チケットなどのトータルデザインのお仕事ですね。
>>>舞台『両国花錦闘士』宣伝美術、制作レポートはコチラ>>>



――デザインをする上でのこだわりはありますか?
自分のデザインに印もつけたくないし、漫画に関しては作家さんと編集者のものだから、
とにかくデザインが全面に出ないようにするべきだと思っています。
僕が一番うれしいのは、「これも新上さんのデザインなんですね」「新上さんってこういうのもやるんですね」と言われること。
そう言われるということは、自分の意外性が出たということだと思うんです。
――意外性というと?
「新上さんってこういう人だね」と思われていたところに、「えっこういうデザインもするんだ!」と驚かれたわけじゃないですか。
そういう自分さえもわからないような表現に落とし込むことができるのはこの仕事ならではのこと。
自分自身も「僕はそういうこともやっちゃうんだ!」と毎回新しい発見ができていれば、
新鮮にデザイナーという仕事を続けていけるんじゃないかなと思っています。

――今、漫画に関連するお仕事がナルティスでは多いと思います。
どのように漫画の仕事を増やしていったのでしょうか?
独立したあとに知り合ったコピーライターさん繋がりで、講談社のモーニング編集部の方と知り合いになったんです。
一緒にスキーに行ったり、飲んだりしているうちに仲良くなり、そのうち「モーニングの巻末に次号予告のページがあるんだけど、
やってみないか?」と言われたのが最初のきっかけ。
当時のモーニング編集部は青年漫画誌の新分野開拓に熱心に取り組まれているときで、
編集部に行ったらものすごく熱い現場になっていて。
そこに取り込まれるように毎週のように次号予告をやらせていただけるようになったんです。
――次号予告ページがスタートなのですね!
そうなんです。次号予告の仕事をするうちに、漫画の単行本のデザインがあることを知っていきました。
いつか僕も単行本のデザインをやりたい。
そう願いながら、次号予告やプレゼントページのお仕事をやらせていただく日々を重ねていきました。
すると編集部に入り浸っているうちにだんだん顔を覚えてもらうようになり、
あるとき、「単行本のデザインをやってみないか?」と声が掛かったんです。
――ついに! これが新上さんの原点ですね。
当時のモーニングではバンド・デシネのような新しいものを積極的に紹介していくような風土があり、
その一環として、フランス人の漫画家さんの単行本を作ることになったと。
そしてその漫画家さんの単行本のデザインを、ありがたいことに僕にお願いしたいとご依頼いただきました。
――これが初めての単行本ですね。当時を振り返ってみていかがですか?
「漫画のデザインってどうなっているんだろう?」ということを学びながら、精一杯やらせていただきました。
王道の漫画ではなく、フランス人の作家さんの漫画だったのでそういう新しさを踏まえながらデザインしたことを覚えています。

Mac黎明期、DTPとの戦い
――今年でナルティスは25周年。新上さんご自身はデザイナー歴35年目となります。
写植などのアナログ、Mac黎明期などあらゆる時代の変化を経験されてきたと思うのですが、
その都度どのように適応されてきたのでしょうか?
最初の代官山のブックデザイン事務所はパソコンどころかレイアウト指定や版下作業があたりまえで、
ズームができるコピー機もない時代でした。
コピー機やファクシミリが飛躍的に進化し、ついにマッキントッシュがまだ小さかったモノクロ画面で登場します。
さらにDTP関連のソフトが出始めます。
僕の場合、独立するまではすべて手作業のアナログデザインでやっていました。
だからもうDTPが出始めたときはすごく嫌でしたね! 「なんでまた覚えなきゃいけないの?」って(笑)。
最初に買ったMacなんてすぐ固まっちゃうし、不便でしょうがなかったんです。
――今までのやってきたやり方が通用しなくなるんですもんね。
だんだん時代が進んでいくにつれて、自分の頭の中でも整合性が取れなくなっていくのを感じていました。
代官山のブックデザインの先生がやっていた“アカデミックなデザイン”が最初は主流だったのに、
将来的にDTPに取って代わられていく…。
だとしたら、デザインにとって本当にいいものは何なのかがわからなくなってきて…。
DTP導入期は今思えばうつ状態に近かったですね。
――アナログでするデザインとデジタルでするデザインは使う筋肉が全く違うと思うのですが、どのように対応していったのですか?
何度も「こんなものやらない!」と豪語していた僕ですが、QuarkXPressというDTPソフト、さらにAdobeのIllustrator、
Photoshopの3つで雑誌を作らなきゃいけないときがついにやってきたんです。
アメリカのオートバイ雑誌の『Easyriders』という雑誌の日本版『Easyriders Japan』を創刊する仕事をいただいたのですが、
アメリカは既にフルDTPになっていると。
だから当然「新上くんもDTPができなきゃこの仕事はできません」と編集長に言われました。

――うわあ、それはやらざるを得ない状況ですね…。
当時の僕は28歳くらい。結婚したばかりだったこともあり、定期刊行の雑誌の仕事は喉から手が出るほどほしい案件でした。
とはいえ「やります!」と言ったものの、DTPの知識が貧弱・・・。
そこで、印刷会社のDTPチームの方に1ヶ月かけて僕にDTPを仕込んでいただくことになったんです。
印刷会社の方もデザイナーのデータがちゃんとしていなかったら大事故が起こるから僕に必死になって教えてくれました。
あのときは痩せるほど勉強しましたね(笑)。
そこから無事に操作もできるようになり、しばらくは当時のアシスタントと僕の2人で『Easyriders Japan』のデザインを
請け負うことになりました。半月徹夜して半月休むという生活をしていたのですが、『Easyriders Japan』のおかげで
DTPの知識や技術も増えましたね。そこで自信をつけて、DTPが怖くなくなりました(笑)。

――今はフルDTPが当たり前の時代となっています。当時と今を比べていかがでしょうか?
未だにDTPが完成したとは思っていませんが、アナログ時代と比べれば今は何倍もの書体が使えるようになったので、
そういう意味では充実した時代になっているのかもしれません。
でも、白黒で版下を作っていたあの頃は、色に対する想像力はもっと豊かだった気がするんですよね。
色校が出てくるまで完成品を見られないから迷いがない、というか。
当時は色校が出るまで1週間ほどかかっていたので、一度作ったデザインを寝かせることもできていました。
今は画面を見れば、すべての色味がわかった状態でデザインできるじゃないですか。
すぐに答えが出るから寝かせる時間もない。
――なるほど。どちらがいいという話でもなさそうですね。
そういうことを考えると、「一体どっちが進化したの?」って思っちゃいます。
電子書籍のデザインは仕上がりと全く同じ色が目の前に現れますよね。
今はそれが当たり前になっているけれど、アナログ時代を経験した僕からするとどちらが豊かなのかはわからないです。
難しいですけどね。
【後編】では、ナルティスの会社の歩んできた歴史、これからのナルティスについても紐解きます。
お楽しみに!
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